‘記念館Blog’ カテゴリーのアーカイブ

弥三郎的11月15日レポート

2009 年 12 月 22 日 火曜日

■今日も弥三郎さんからのレポートをご紹介します↓

今日は、遅ればせながら11月15日の龍馬記念館オープンの模様等を報告したいと思います。
朝9時過ぎに私が会場前に到着すると、何やら賑やかな音が鳴っておりまして、いったい何の音だろう?と思ってよくよく見てみると、なんとブログにも出た事もある「チンドンヤ」のお父さんが「いよいよ、北海道坂本龍馬記念館がオープンでございます」とPRをして下さっておりました。

私も入場者の列に並んでいると、その中には龍馬達のコスプレをした方もいて、皆さんなかなか熱いです。
(その列の中には、何かの機会に会った方もいたのですが、さてさて何で会ったのか分からず話しかけられずに終わった方が多数…。皆さん、今度は是非語り合いましょう)。
 入場すると、私が一番見たかった千葉佐那の事をお乙女姉さんに書いた手紙を見て、感激!!
(因みにその時の模様が翌日の道新に載り、私もびっくり!!(笑))
 その後五島軒に移動し、現北辰一刀流玄武館々長、小西真円一之氏の模範演舞を見てたのですが、真剣な眼差しの中にも、私個人としてはなんとなく管理人さんと雰囲気が同じような感じがして、親近感が湧いてしまいました。
(館長、すみません…)
 その次は、龍馬ファンにはお馴染み(?)の京都国立博物館の宮川先生の講演でしたが、
龍馬の剣の師匠であった千葉重太郎と、「龍馬を暗殺した」と最晩年に語った渡辺篤が一緒にいたという話しや、千葉佐那が龍馬には猫を被っていた等の話しは、これまた面白い! 

そして次に、五島軒一階の展示場に行くと、何やら江差沖に沈んだ開陽丸にも謎がという記事が…(この話しは、新しい開陽丸レポートに載せますね)。
その次は、立待岬近くにある碧血碑に行ってお参りをした後に、イラスト展を開催している五稜郭タワーへ移動。先日、ホームページにも紹介された入賞作品等も生で見てきましたが、大賞作品はとても上手くて、これは大賞を獲るわ~と納得しました。
最後に、五稜郭入り口の紅葉があまりにも綺麗だったので思わず写メを撮ってから家路に就いたのでした~。

まとまりのない長文ですみませんm(._.)m
次は、松前城(福山城)レポートを予定しています。


龍馬ファン千葉より来る

2009 年 12 月 20 日 日曜日

年末も押し迫っておりますが、今日も全国から多くの観光客の方々が来館されています。今日はその中から、記念館を見るために千葉県から来られた筋金入りの龍馬ファンをご紹介します!



向かって右が千葉の龍馬ファンの女性、左が函館在住のお友達だそうです。約1時間展示をじっくりと観覧され、観覧後には函館新聞の取材にもご協力くださいました。記者の方も、龍馬ファンの熱い想いに圧倒されていました!


弥三郎の史跡探訪レポート

2009 年 12 月 15 日 火曜日

■今日は岩崎弥三郎君による久々の史跡探訪レポートをご紹介します↓

当初は11月15日の記念館オープン以降に書こうと思っていたのですが、結局新歴での龍馬の命日である12月10日も過ぎてのレポートになってすみません。
これから一気に報告していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
 
まず最初に報告する場所は、函館の隣町にある北斗市の「戸切地陣屋(へきりちじんや)」です(以前は「清川陣屋」等とも呼ばれていました)。
行き方としては、新道の「北斗中央」を降り、その先のT字路を右に曲がりしばらく道なりに行くと、看板が見えてくると思います。
 
この陣屋は、五稜郭や四稜郭の様な西洋式の堀に囲まれていて、箱館戦争の直前には新政府側の役所や武器庫等があったのですが、榎本ら旧幕府軍が北海道に上陸した際には、そこが拠点になる事を避ける為に、人々は自ら建物に火を放ち、ここは灰塵に帰する事になります。
(その後の調査で、土台の石等も見つかり、どこにどんな建物が建てられ、どんな使い方もされていたかもかなり分かるよいになっています)
 
その為、箱館戦争の際にここは戦場とはならなかったのですが、怪我人を収容するような場所として機能をしていました
箱館戦争後は、当時の地主さんが並木道に桜を植え、それ以降はここも五稜郭同様に花見の名所となり、市民の憩いの場所となっていったのでした。そして、秋は紅葉が鮮やかに飾ります。
だがしかし、自分が初めて行ったのが5月で桜は終わっており、秋は秋で二度行きましたが、一度目は紅葉にはまだ速く、二度目はすでに終わってしまっていました…。
 
写真は、その5月と10月の陣屋の入り口と、陣屋の土台石です。