弥三郎の史跡探訪レポート

■今日は岩崎弥三郎君による久々の史跡探訪レポートをご紹介します↓

当初は11月15日の記念館オープン以降に書こうと思っていたのですが、結局新歴での龍馬の命日である12月10日も過ぎてのレポートになってすみません。
これから一気に報告していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
 
まず最初に報告する場所は、函館の隣町にある北斗市の「戸切地陣屋(へきりちじんや)」です(以前は「清川陣屋」等とも呼ばれていました)。
行き方としては、新道の「北斗中央」を降り、その先のT字路を右に曲がりしばらく道なりに行くと、看板が見えてくると思います。
 
この陣屋は、五稜郭や四稜郭の様な西洋式の堀に囲まれていて、箱館戦争の直前には新政府側の役所や武器庫等があったのですが、榎本ら旧幕府軍が北海道に上陸した際には、そこが拠点になる事を避ける為に、人々は自ら建物に火を放ち、ここは灰塵に帰する事になります。
(その後の調査で、土台の石等も見つかり、どこにどんな建物が建てられ、どんな使い方もされていたかもかなり分かるよいになっています)
 
その為、箱館戦争の際にここは戦場とはならなかったのですが、怪我人を収容するような場所として機能をしていました
箱館戦争後は、当時の地主さんが並木道に桜を植え、それ以降はここも五稜郭同様に花見の名所となり、市民の憩いの場所となっていったのでした。そして、秋は紅葉が鮮やかに飾ります。
だがしかし、自分が初めて行ったのが5月で桜は終わっており、秋は秋で二度行きましたが、一度目は紅葉にはまだ速く、二度目はすでに終わってしまっていました…。
 
写真は、その5月と10月の陣屋の入り口と、陣屋の土台石です。


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