弥三郎の史跡探訪レポート(2月9日)

■久しぶりに岩崎弥三郎くんの史跡探訪レポートをお届けします↓

 

久しぶりにレポートをしたいと思います。

(そういえば、昨日はNHKの番組に龍馬記念館もテレビに出ていましたよね)

今日は、松前町についてです。

松前町は、以前は松前藩として徳川幕府下、北海道(蝦夷地)唯一の城下街として独自の文化を作りあげていました。(以前レポートさせて頂いた、新撰組の永倉新八が北海道に移住したのも、親類に松前藩の関係者がいた事もあるようです)

この松前城は正式には福山城と言い、代々松前氏が藩主として藩を納めていましたが、戊辰戦争で旧幕府軍が攻めてきた際にはその勢いに飲まれ、厚沢部町の館城に撤退する事となりました。

さて、この当時の城の建物は昭和の初頭まで現存していましたが、火事により焼失。現在はコンクリート建築の建物に変わったのが主ですが、所々にはまだ残っているのもあります。

ところで、この松前城の家紋は「丸に武田菱」で、私が中学の修学旅行でここに来た際には、「何故、北海道に武田の家紋があるのだろう?」って思っていたのですが、よく調べてみると藩主の松前氏は、以前は「武田」であったのが分かり、私もようやく理解したのでありました。

因みに大河ドラマにも出ている岩崎弥太郎の家紋「三階菱」でありますが、これも元々は「武田菱」から派生したものだという話しもあるそうです。

これを機に、皆さんも自分の家紋や苗字に興味を持ってみるのも如何でしょうか~?

(私の母方の家紋は、あの沖田総司の家紋と同じみたいです)

 


コメントは受け付けていません。