常設展示リニューアル
6月末に常設展示の一部リニューアルが行われ、徳川慶喜や徳川斉昭、高橋泥舟の書や、幕末動乱期の日本刀など、歴史資料として大変貴重な品々が新たに加わりました。
徳川十五代将軍である徳川慶喜(よしのぶ)は、徳川斉昭(なりあき)の七男として生まれ、水戸で育ちました。初め一橋家を相続し、慶応ニ年(1866)に征夷大将軍を継いで最後の将軍となります。幕末の動乱に直面し、龍馬が後藤象二郎と共に推進した大政奉還を受け入れて新しい国家体制樹立を目指しますが、王政復古の大号令と共に辞官、納地を命ぜられ、その後、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸城を明け渡し、水戸に退きました。
慶喜による大政奉還受け入れの報を聞いた時、武家政治終焉を決断した慶喜の覚悟と気概に龍馬は感動し、「この公のためなら、自分は命を捨ててもよい」と涙ながらに語ったといわれています。
今回展示された慶喜の書(写真中央)には、“人の道を学ぶことの大切さ”や“読書することの楽しさ”が記されています。才気溢れる慶喜の人柄が表れており、修学旅行などで訪れる多くの子どもたちにぜひ見てほしい一幅です。
慶喜の父であり、水戸九代藩主でもある徳川斉昭(なりあき)は、兵制や民政を重視した改革を行うと共に、藩校「弘道館」(こうどうかん)を設置して尊皇の理念に基づく教育方針を明らかにし、藩士の文武修得につとめました。斉昭の書(写真左)には、尊王論者として天皇の権威を尊ぶ内容が記されています。
そして、幕臣である高橋泥舟(でいしゅう)は、勝海舟(かいしゅう)、山岡鉄舟(てっしゅう)と共に「幕末三舟」(ばくまつさんしゅう)と称され、鳥羽伏見の戦いの後、江戸城無血開城に尽力し、江戸を戦火から救った人物の一人です。ちなみに、記念館内には三舟直筆の書入り扇子も展示されています。
妹婿の鉄舟とは義兄弟の関係にあたり、槍術(そうじゅつ)に優れた泥舟は講武所の槍術教授をつとめ、江戸城明渡し後は遊撃隊(ゆうげきたい)のリーダーとして徳川慶喜の身辺警護にあたりました。
泥舟の書(写真右側)は、明治三十六年一月、慶喜が公爵に叙せられた際の祝賀会で披露された歌が記されています。泥舟は、三舟の中では地味な存在ですが、主君に対する深い忠義心や、自分を表に出さない武士としての潔さなどを持つ人格者です。
そして、今回のリニューアルの目玉となるのは、江戸時代~幕末動乱期の日本刀の数々。徳川家伝来、水野家の宝物短刀をはじめ、龍馬の愛刀「吉行」と同じ刀工による吉行の脇差、約95㎝もの長さを誇る薩摩薬丸自顕流の大刀、激戦の跡も生々しい会津藩士や薩摩藩士の刀などが並び、動乱の中、命がけで戦った武士たちの想いが、刀を通じてひしひしと伝わってきます。
その他にも、桜の木でできた杖(写真奥)、ひょうたん(写真手前左側)、キセル入れ(写真手前右側)などに刀を納めた珍しい仕込み刀など、歴史ファンならずとも必見の刀が新たに十二口加わりました(※刀の正式な数え方は「口」を使います)。
函館は夏の素敵な観光シーズンに入り、連日全国から多くの方々が訪れています。より見応えを増した北海道坂本龍馬記念館にぜひお越しください。