第43回箱館五稜郭祭パレードに出場しました!
5月19日と20日の2日間、「第43回箱館五稜郭祭」が盛大に開催されました。この行事は、戊辰戦争の舞台となった五稜郭にまつわる歴史を後世に伝えると共に、函館の基礎を築いた先人の遺徳を偲び、箱館戦争で戦没した無名戦士の慰霊を目的として昭和45年から開催されており、今年で43回目を迎える函館の伝統行事です。
19日は箱館戦争ゆかりの地を巡る「碑前祭」や、恒例の「土方歳三コンテスト全国大会」が開催されました。25回目となる今回の優勝者は、何と函館市内の女子高校生(3年生)でした!
そして、素晴らしい天気に恵まれた20日は、ペリーの箱館来航から箱館戦争終結までを題材に、当時の旧幕府軍・新政府軍に扮して戦闘シーンを再現する維新行列や音楽パレード、そして旧幕府軍から明治新政府軍への五稜郭明け渡しを再現する開城セレモニーなどが、函館市中島町から五稜郭にかけて実施されました。
昨年の維新行列では、朝廷の命により龍馬の養子となって跡目を継いだ高松太郎(坂本直)役として初参加させていただきましたが、今年は龍馬と共に蝦夷地開拓を目指し、箱館・五稜郭に渡った同志2名が新たに加わりました。
この写真は龍馬像前での出陣式のスナップ。中央が高松太郎(坂本直)役の佐藤慶輔さん、向かって右が岡本監輔役の佐藤強さん、左が山東一郎役の私です。
龍馬の甥で同志でもあった高松太郎は、龍馬の蝦夷地開拓計画に深く関わり、彼の遺志を引き継いで慶応4年に明治新政府の役人として箱館に渡りました。五稜郭に置かれた箱館裁判所(行政機関/もとの箱館奉行所・後の箱館府)に赴任して箱館戦争にも従軍し、その軍功によって松前藩主から褒賞も受けています。
岡本監輔(おかもと・けんすけ)は阿波国(現徳島県)出身で、早い時期から北蝦夷地開拓の重要性を主張し、自ら樺太を踏査した人物です。その後、山東一郎の紹介で龍馬に会い、樺太の状況を伝えると共に、本土の浪人たちを樺太に送り込んでロシアからの防衛と開拓に従事させる計画を熱く語ったといわれています。また、後に箱館裁判所総督となる清水谷公考(しみずだに・きんなる)に高松太郎を紹介した人物でもあります。
山東一郎(さんとう・いちろう)は紀伊国(現和歌山県)出身で、岡本監輔と共に蝦夷地開拓計画を推進した人物です。薩摩藩士・森清之丞の紹介を受けて龍馬と面会し、蝦夷地開拓への協力を要請すると共に、後に岡本を紹介しました。
今回新たに登場した2名は、龍馬と共に蝦夷地開拓を目指し、高松太郎と共に龍馬の遺志を引き継いで箱館・五稜郭に渡った同志たちなのです。
午後1時、中島町廉売通りでの開会式を終え、いよいよパレードがスタート!今年のパレード参加者数は、警察や自衛隊などの音楽隊や幼稚園児によるチビッコ新選組のチームなども含め、1000人規模の盛大なものとなり、沿道にも多くの市民や観光客が詰めかけました。
我が北海道坂本龍馬記念館・高松太郎隊は、“北海道に上陸したぜよ!”のセリフやアクション、そして沿道の観客や電車・バスなどで移動中の人々に手を振ってPR、多くの方々が反応し、声援を送ってくださいました。
五稜郭手前の行啓通りでは、クライマックスとなる旧幕府軍と新政府軍の戦闘シーンが繰り広げられました。見事な殺陣(たて)、そして銃や大砲の爆音と砲煙は本物さながらの迫力!沿道の観客からも、ひときわ大きな拍手と歓声が起こっていました。
そして、五稜郭公園内では、フィナーレとなる「開城セレモニー」が行われました。北海道警察と陸上自衛隊の音楽隊による演奏、榎本武揚から黒田清隆への五稜郭明け渡しの会談(寸劇)、開城宣言、銃と大砲による祝砲、函館観光大使・平田まりさんによるオリジナル曲『五稜の夢』の披露、実行委員長・中野豊氏の挨拶と続き、最後は賑やかな餅まきをもって全ての催しが終了しました。
セレモニー終了後も高松太郎隊の人気が高く、若い女性グループからの記念写真のリクエストに応えたり、他の出場グループのメンバーと記念撮影を行うなど、多くの方々と交流しながら北海道坂本龍馬記念館をしっかりとPRしてきました。
“函館を盛り上げるべく、来年も参上するぜよ!!”