山内容堂公の佩刀
現在開催中の特別展『幕末維新の巨人たち』で特に注目の資料が土佐藩第15代藩主・山内容堂公の佩刀(はいとう)。幕末当時は容堂公以外は触れることもできなかったという貴重な名刀です(銘:左行秀[さのゆきひで])。
山内容堂は福井藩主・松平春嶽、宇和島藩主・伊達宗城、薩摩藩主・島津斉彬らと共に幕末の四賢侯と称された人物です。公武合体派として自身を藩主にまで押し上げてくれた幕府を擁護し続けましたが、倒幕へと傾いた時代の流れを止めることはできず、そんな中、龍馬と共に大政奉還や船中八策を策定していた後藤象二郎がこれらを容堂に進言しました。容堂はこれを妙案と考えて15代将軍・徳川慶喜に建白し、慶喜がこれを受け入れることによって慶応3年10月14日(1867年11月9日)大政奉還が上奏され、やがて日本は明治維新を迎えます。
この刀の鞘(さや)には、三菱財閥の社章の原型になった土佐・山内家の紋章「丸三葉柏紋」(まるにみつばかしわもん)が記されています。創設者である岩崎弥太郎が「船旗」として考えたのが、この「三葉柏」と岩崎家の家紋「三階菱」を合成した「三角菱」で、これが現在の三菱の社章となりました。