春猪宛て龍馬書簡が掲載されました
3月15日発行の週刊朝日百科「新発見!日本の歴史」シリーズ第2号『近代1・黒船の衝撃 新政府樹立へ』(朝日新聞出版)に当館所蔵の坂本龍馬書簡(慶応2年[1866]1月20日付/姪・春猪宛て)が写真入りで紹介されています。このシリーズは、次の時代を生きるための、新視点による歴史紹介をテーマにしたもので、近代日本の礎とも言える「薩長同盟」を検証するコーナーに、京都国立博物館学芸部企画室長の宮川禎一氏の論考と共に龍馬書簡が掲載されています(21ページ)。
この手紙の前半は年頃の娘である姪・春猪(はるい)を辛辣(しんらつ)にからかったもので、「この頃はあばた顔におしろいをはけ塗りこて塗りしているんだろう」とか、「そんなことをしてもお前は気が強いから男は皆逃げ出す」などと綴っています。たぶん、龍馬は春猪を妹のように感じて可愛がっていたのでしょう。しかし、末尾には一転して遺書的な内容が綴られています。「私も、もし死ななければ、4、5年のうちには帰れるかもしれないけれど、露の命は計れない(自分はいつ死ぬかわからない)。お前はこの先も長く無事で暮らしていくんだよ」と。
実はこの手紙を書く2日程前、龍馬は幕臣・大久保一翁から身の危険を忠告されていたらしく、いつ殺されるかもわからない恐怖感と、薩長同盟を目前に控えた緊張感、期待感の中でこの手紙を書いたものと思われます。命懸けで日本の将来のために行動し、そんな中にあっても家族への愛情を忘れることがなかった龍馬の優しさ。そういったものがこの手紙の行間からじわじわと伝わってきます。
ちなみに、この手紙を書いた3日後(23日)の深夜、龍馬は寺田屋で幕吏に襲われています。もし仮にその時龍馬が亡くなっていたら、文字通りこの手紙が遺書となっていたはずです。
薩長同盟締結前夜に書かれたこの手紙について、宮川氏は「薩長同盟の締結が日本の進路にとって重大な事であることを龍馬自身ががよくわかっていたことを暗示している」と解説しておられ、この手紙が歴史資料としていかに重要であるかということがよくわかります。かつて宮川氏は、この手紙について「個人的には全龍馬書簡の中でもベスト3に入る」と話してくださり、著書である『全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙』(教育評論社)の中でも、重要度において最高評価をつけておられます。
まさに、日本の宝といえる手紙だと思います。