西郷隆盛備忘録④ 「西郷さんと函館」
西郷隆盛の曾孫・西郷隆夫氏の講演会で紹介されたエピソードより。明治2年(1869)、西郷さんは東京・品川を出発し、箱館(現函館)に着いたものの、結局、湾を一回りしただけで上陸はしなかったという。函館に来た目的は、新政府軍参謀・黒田清隆と、かつて親交があった榎本武揚の双方を気遣い、戦況を視察するためだったと言われている。西郷さんが函館に上陸しなかった理由については諸説あるが、どうやら黒田清隆の戦功に水を差さぬよう気遣ったらしい。
その後、西郷さんは北海道の開拓とロシアからの防衛のため、自ら北海道へ渡るつもりだったという。これは龍馬の蝦夷地開拓構想と同じもので、龍馬自身も蝦夷地へ渡るつもりでいたが、残念ながらそれは暗殺によって叶わなかった。
北海道開拓は西郷さんと龍馬共通のものであり、それはやがて黒田清隆へと引き継がれ、屯田兵として具現化することになる。もちろんそれは、当時の世界情勢を俯瞰し、国益を考えてのことであったことは間違いないだろう。写真は、札幌市大通10丁目に建つ黒田清隆像。