第4回『北海道150年記念 第4回「百年後の日本人へ」現代の志士・手紙コンクール』入賞作品

平成30年11月11日、『北海道150年記念 第4回「百年後の日本人へ」現代の志士・手紙コンクール』表彰セレモニーが開催されました。今回は、65作品の応募があり、その中から14作品が入賞し、1団体が優秀団体賞を受賞しました。今年もたくさんの力作をお寄せいただき、ありがとうございました。
入賞作品は、以下の通りです。



入賞作品

【北海道知事賞】 戸上 喜之(三重県津市)


『百年後の日本人へ』
 大きな試練に見舞われた北海道百五十年。
 北海道胆振東部を襲った大地震では、四十人以上が犠牲となり、多くの被災者が今も絶望の淵に佇んでいます。2年前、五百五十キロ先の孤立した南阿蘇村から、娘を救い出した苦い記憶が蘇りました。北海道も熊本も、大地震は来ないとされる中での惨事でした。
 この夏、豪雨や台風など各地で続いた大災害。もはや自然災害は、国中どこでも起こり得ると覚悟するしかありません。でもこの国の災害史は、そのまま復興の歴史と重なります。何度災害に見舞われても、この国は立ち直ってきたのです。復興に導いたもの。それは苦境から這い上がろうとする者、手を差し伸べようとする者の志でした。そしてその志――先人たちの不撓不屈のDNA――は、今を生きる我々の体にも息づいているのです。
「百年後の日本人よ。たった一人の志も、集まれば大けな力になるろう。今の日本は今のわしらが頑張るき。後のことは頼んだぜよ」




【北海道教育委員会教育長賞】 板垣 千瑛(イスタンブル日本人学校 小6)


約百二十五年前(一八九〇年)に「エルトゥールル号遭難事件」があり、トルコと日本の「絆」がスタートしました。親善航海の為に、日本に来ていた軍艦が串本町沖で遭難して、串本の人たちが台風の中トルコの人を救助しました。この救助活動は、トルコの人々に伝えられ、百年を超えて伝えられてきました。たくさんお金を集めて、届けたのが山田寅次郎さんでした。今年の五月に、寅次郎さんのお孫さんが日本人学校に来てくれて、「トルコと日本の友情について」話してくれました。エルトゥールル号遭難事件から百年経ち、一九八五年のイラン・イラク戦争の時、テヘランに取り残された二百十六名の日本人をトルコの飛行機が救出してくれました。救出してくれた理由は、「百年前の恩返し」であったと言われています。

 今でもトルコ人から「日本人大好き」という言葉が聞かれます。百年経っても、もっともっと「友情」と「絆」が進んでほしいです。




【函館市長賞】 遠藤 直子(北海道札幌市)



『百年後の日本人の皆様へ』
 皆様、いかがお過ごしでしょうか?
 豊かな暮らしをしていますか?平和な日々を送っていますか? 時の流れとともに世の中は進歩し、今世よりももっと便利になっていることでしょう。交通の便が良くなっていたり、医療分野でも今では想像がつかないくらいの高度な技術が行われていると思います。
 世の中が進化し発展するのは素晴らしいこと。
 その中で百年後の日本人の皆様へ、私が伝えたいこと、変わらずに大切にずっと、百年後もその先も、持ち続けてほしいことがあります。それは…
 ”日本人の持つ優しさ・思いやり “ そのためには、自分を傷付けず、自分を見失わず、自分の中にある心を大切にしてほしい。そこから優しさや思いやりは生まれます。
 そしてもう一つ、北海道から沖縄まで、日本各地にある豊かな自然・食材は変わることなく、この先も守り続けてほしいです。
 利便性を求めるあまり、キレイな自然を、自然のエネルギーを破壊しないでほしい。代々ご先祖様が守ってきた自然や伝統。その中には数えきれない人達の魂があります。
 ”進歩とともに忘れてはいけない日本の心 “ これまで多くの人達が守ってきたものを、百年後の日本人の皆様に守ってほしいと願います。
 皆様一人一人が、ぶれることなく、自分の信念を持って”今 “を生きて下さい。
 百年後、私は澄みきった青い空から、皆様を温かく見守り、応援しています。
 ”ありがとう “の想いを込めて…




【函館市教育委員会賞】 堀渕 理恵(東京都府中市)


 こんにちは。私は百年前に日本語教師をしていた堀渕理恵と申します。「ほりけい」という筆名で物語を書いています。二〇一八年現在は無名の作家ですが、二一一八年を生きるあなたも楽しめる本を必ず書き残します。
 私は、日本語に魅了された人間の一人です。日本語の本質は、爽快感だと思います。日本語で書かれた優れた文学作品、とりわけ夏目漱石という人の文章を読むと、薄荷水をかいだ時のようなさわやかな心持になります。  日本語のおかげで私は海外で働くことができました。約二十ヵ国の人たちと出逢い、日本語で会話したり一緒に笑ったりしました。予想以上の愉快な人生に感謝しています。
 日本語には凄まじい力が宿っています。私たちを想う祖先の祈りを感じます。日本語を粗末にしてはなりません。あなた自身と同様、大切に扱ってくださいね。
 日本語はあなたの人生を明るい方へ導く鍵です。素晴らしい人生であります様。




【毎日新聞社賞】 渡辺 美愛(名古屋市立供米田中学校2年)


 どうも、こんにちは。私は弓道を頑張っている中学2年生です。 百年後まで生きていれば百十三歳…!元気に生きていれば良いなぁと思っています。 さて、百年後の皆さんに知っておいてほしい事があります。それは、児童虐待の深刻さについてです。 今、多くの罪なき子ども達が身勝手な理由で傷つけられています。新聞やニュースでも話題になっていて、 私もよく記事を見かけます。本当に愛らしい顔で笑っていて、何故傷付けるのだろう、苦しめるのだろう…と考えていると、 必ずと言っていい程泣いてしまいます。虐待をする親の気持ちが全く理解出来ません。私が無くすべきだ!と感じている 児童虐待のように百年後の日本にも大きな課題がきっとあると思います。だけど、声を挙げ続ければ状況は絶対に 変わっていくはずです。百年後の日本の子ども達が、笑顔で、安心して毎日を過ごせる事を願っています。




【北海道新聞社賞】 西森 孝(高知県高知市)


『百年後の日本人へ』
 百年後の日本人は、よりいっそう思いやりの心を高め、弱者、貧しい人を助け、格差のない社会を実現するだろう。人間の一生(生老病死)を見据え、ひとりひとりが日本国に生まれて本当に良かったなぁと思える社会を実現したい。そのためにも、他人を思いやる心を、毎日毎日、常に思い起こし実践することが大切です。困っている方がいたら、真っ先に自分から歩み寄っていく姿勢が大切だろう。社会の法律以前に、心の法律として五戒を守りましょう。一、殺生をしない 二、盗みをしない 三、不倫をしない 四、うそを言わない 五、大酒を飲まない。 良い心の人間に満たされた日本は、世界中の人々から尊敬され、日本人のようになりたいと思われるでしょう。思いやりの心が、世界中に行き渡ると、人種差別も戦争もなくなるでしょう。愛・平等・自由を実感できることでしょう。




【北海道150年記念賞】 梶原 宣俊(鹿児島県出水市)


『百年後の日本人へ』
 私の夢は、日本人が歴史や伝統文化を大切にして、国民全員が真の自由と平和と民主主義の思想を体得している小さな政府と美しい島国です。現在二〇一八年は明治維新一五〇周年、日本は、長州の自民党安倍政権が三選を果たしましたが、少子高齢化が進行し、経済も高度成長が終わり低迷を続けています。政府、官僚は明治以来相変わらず権力と金で国民の不信を招いています。明治維新という市民革命を主導した坂本龍馬や西郷隆盛はフランス型の自由・民主主義国家をめざしていましたが、明治新政府はドイツ型の中央集権国家を選択し、太平洋戦争で未曾有の犠牲者を出しました。戦争の反省や教訓は未だ生かされていません。米国から与えられた自由・平和・民主主義が、百年後には国民一人一人の思想として血肉化され、「道州制」による小さな政府と「地方創生」が実現していることを心から期待しております。




【審査員特別賞@】 服部 悠希(愛知教育大学附属岡崎小学校2年)


『100年後の日本人へ』
 私は、今、小学二年生の七才です
。  あなたの今すんでいる日本には、ふじ山はありますか? ところで、ふじ山って、しっていますか?ふじ山とは、日本で、一番高い山で、3776mもあります。あなたは、ふじ山に、のぼったことは、ありますか?私は、あります。五合目まで行きました。
 じつは、ふじ山、えどじだいでは、かわった形を、していました。今、ふじ山は、どんな形ですか?どんなかんきょうですか?
 この手紙を、読んでくださった、みなさん、100年後は、私が、生きていても、107才です。一生というものを、大切に、してください。
 私は、りっぱな大人に、なっていきます。私が、これから、べん強していく中で、学んだことがあれば、もし100年後生きていて、あなたにあえたら、おしえたいと思います。
 それでは、一生を、おだいじにしてください。さようなら。





【審査員特別賞A】 林 洋子(兵庫県西宮市)


 百年前の日本人と今の日本人とでは、人間そのものは変わっていません。百年後も大きく変わることはないと思います。目の前にいる孫達は百年後には百三才、百十才になります。日本人の平均寿命は二百才になりますから、人生半ばです。平均身長二米の日本人、ヨーロッパの今の姿になります。ガンは克服され、人生永遠も不可能ではなくなります。
 世界は世界連邦が出現し、戦争は抹消されます。世界平和は実現します。世界語が通用し、日本語は消えます。でも日本人としての「心」は今のままつづきます。わび、さび、もののあはれ、花鳥風月を愛でる繊細な日本人的感情は残りつづけます。春夏秋冬という自然の宝物に恵まれつづける限り、大和心は生きつづけます。人口は三千万足らず、農村は消えます。競争社会は消えます。正に世界のユートピアが出現します。百三才の孫の姿が目に浮かびます。「和の心をもったジャパン」孫の未来にエールを送ります。




【審査員特別賞B】 谷川 純白(佐賀市立高木瀬小学校5年)


 けい応三年、ぼくの机が作られた年です。当時の職人さんが心を込めて作ったので、今でも、びくともしないケヤキの一枚板の文机です。今から百年後も、ぼくの子孫が使っていることでしょう。
 日本は、ここ数十年、ものすごく速いスピードで、科学技術が進歩しました。ここ数年は、人工知能が注目され、様々な場面で活用が期待されています。ぼくは急げきな科学技術の進歩をおそろしく感じています。
 百年後は、AIが利用され、すべての仕事をロボットがしてくれる時代でしょうね。だけど、そのような生活かん境が日本人ののぞみでしょうか。ぼくは違うと思います。
 どんなにロボット化されても、ロボットに勝る職人の技術が存在し、心でロボットをあやつる人が主役の日本であると信じています。物を長く大切に使い、心豊かにロボットと仲良く生活している世界を夢見ています。




【審査員特別賞C】 川幅 響起(イスタンブル日本人学校 小5)


 百年後の世界の人々も素晴らしい文化遺産を残してもらいたいと思います。
 トルコの「カッパドキア地方」はめずらしい岩が集まってとてもきれいなところも多くあります。イスタンブールの旧市街にいくと何百年も大切に残されている「トプカブ宮殿」「アヤソフィア」などの世界遺産が多くあり、街全体が世界遺産なのです。また、イスタンブールの夜景は最高です。まちの色々なところにきれいな「モスク」が建てられています。太陽の光を浴びてキラキラ光る「ボスポラス海峡」があります。どれもりっぱで、素晴らしい文化が栄えています。
 百年後でも、これらの素晴らしい文化や建物等を大切にしてほしいです。
 トルコだけではなく、世界各地にある「世界遺産」を大切にしてほしいです。ぼくが、ほこりに思っている「姫路城」「富士山」いつまでも大切に残ってほしいです。また、日本の自然も大切にしてもらいたいです。  




【審査員特別賞D】 牧田 一輝(イスタンブル日本人学校 小5)


 トルコの良いところは、地下鉄やバスに乗ると、席をすぐにゆずってくれるところです。また、タクシーの初めの料金が日本より安いです。百年たったイスタンブールは、テロがなくなり、町にはタバコのすいがらがなくなり、環境に良い都市になっていればよいなと思います。ショッピングモールなどの大きな建物には、トイレの数がもっと増え、エレベーターなどを作って人々の移動が便利になり、いろいろな発展があると良いと思います。
 日本が変わっているところは、生活の中で便利なものが多く出来ていると思います。現在の平均寿命は、男性八十一歳、女性八十八歳ですが、医学の進歩などで百歳以上になっていると思われます。百年たっても大切にしたいことは、自分のことだけを考えずに、周りの人のことをちゃんと考えて行動することです。生活の中できちんとルールを守って下さい。百年たっても大切なことだと思います。




【審査員特別賞E】 松村 せいら(イスタンブル日本人学校 中1)


  皆さんこんにちは。皆さんに今の時代のことについて書きます。最近の日本は、とても暑かったり、台風が来たり、 異常気象になっています。その原因の一つが、地球温暖化と言われています。木の伐採などが多く、 温暖化が進行しています。皆さんの時代には、温暖化を進めない画期的な企画や道具などが完成していると思います。
 私は今、トルコのイスタンブールに住んでいます。トルコの人々は優しいので、街中に飼い主のいない犬や猫がいます。 町の人たち全員で、犬を飼っているようです。自由に犬や猫も街中を歩いています。
 最後に、百年後の世界は戦争や天災などで滅んでいるという説もありますが、人類の英知でもっともっと進んだ世界になっていると思います。 私は、イスタンブル日本人学校に通っています。中学一年生は、四名です。四名は、百年後はどんな生活をしているでしょうか。 二千十八年九月に書きました。




【審査員特別賞F】 若宮 秀太(イスタンブル日本人学校 中3)


 トルコは今、急速に経済発展を遂げています。たくさんのビルが建てられ、たくさんの若者が行き交っています。  このトルコと日本は、百年以上前から国交があります。千八百九十年、トルコの軍艦エルトゥールル号が日本に来ました。和歌山県沖でその船は座礁し、たくさんの人が亡くなりました。生き残った人は和歌山県の農村の人々に助けられました。
 千九百八十五年、悲しいことにイラク戦争という戦争が勃発しました。イラクでは、様々な国の人々が自らの国からの支援機に乗って祖国へ戻ろうとしました。しかし、その時日本はイラク在住日本人に対して支援機を送ることができませんでした。そこで、トルコの支援機が日本人を乗せてくれたのです。
 この二つの物語には、国籍、宗教、人種、すべてを超えた「思いやり」の心があります。
 我々日本人は、「思いやり」を今まで大切にしてきました。公共交通機関を含め、困っている人には、直ぐに席を譲り、重いものを持つ。それらをはじめとする様々な「思いやり」があります。
 しかし、日本に一時帰国した時、周りを見渡すと、席を譲らない、重いものを持たない。なぜ、そうなってしまったのでしょう。私には、わかりません。しかしトルコでは、小さな子供や老人、体の不自由な人に対して、率先して席を譲ったり、重いものを持ったりします。たとえ自分に不利益しかなくとも、「テシェッキルエデリム(ありがとう)」この一言しか聞けなくても、思いやりある行動があちこちで見受けられます。百年後に向かって「現在の日本人」も、百年前の「日本人のよさ、礼節を重要視した日本人」を取り戻したいと思います。
 百年後の日本人には、トルコのような「優しさ」や「思いやり」のある、今以上に心のあたたかい日本を作ってほしいと思います。




◆表彰セレモニー