『 第 5 回「全国龍馬手紙コンクール 』 入賞作品

令和元年 11 月 10 日、『第5回全国龍馬手紙コンクール』の表彰式が開催されました。今回 は、25作品の応募があり、その中から 10作品が入賞しました。今年もたくさんの力作を お寄せいただき、ありがとうございました。入賞作品は、以下の通りです。



入賞作品

【北海道知事賞】 西森 孝(高知県高知市)


 自分が理想としている社会は、安全で幸福な生活を一生涯、全人類が享受できる社会で す。不安なく暮らせる社会システムを完成することによって、健康的な 100 歳寿命を実現 できないだろうかと思います。現在、世界人口 77 億人いる中で、7 億 7 千万人もの人が、 一日 1.9 ドル(日本円で 203 円)で生活しているそうです。このような今の状況を打開す るにはどうしたら良いでしょう。0 歳〜22 歳、65 歳〜100 歳の方々は社会保障で守られ、 22 歳〜65 歳の労働生産者で支えていく社会を実施することです。まず、健康な体を維持す るために、安全な水と食糧を保障することです。それから、戦争をしないことです。全人 類が、他者を思いやる教育を子供から大人まで常に受け続けることです。自ら進んでお金 を寄付する方、無償の労働力を提供する方を、社会全体で讃美する社会がいいと思います。 私も治療院を開業して、一部の患者さんの治療費無料を実行してきました。安全社会いい ですね。




【北海道教育委員会教育長賞】 吉澤 恵子(埼玉県北足立郡)


あなたは流氷を見たことがありますか。私は忘れもしません。初めて流氷の姿を目にした 時のあの衝動。体の奥底から血が湧き出すような感覚に震え、自分が今まで気にしていた ことはどれ程ちっぽけな悩みだったのかを思い知らされました。まさに人生観が変わるほ どの出来事。あれから十数年が経ち、もう一度見ようと知床の旅行会社を訪れて、地球温 暖化の影響で流氷があまり見られなくなったことを知りました。あぁ、流氷は暗い海をさ まよい、母なる大地に逢うことも叶わなくなったのか。だとしたら今私にできることは、 地球温暖化を食い止めようと行動に移すこと。今こそ省みる時だと気付き、一人一人の力 は小さくても声を掛け合い、大きな成果を上げること。百年後の日本から、流氷がたどり 着ける大地をなくさないよう、たとえ会うことはできなくても夢の中で、自然の産物をあ の感動を、あなたと語り合いたいのです。




【函館市長賞】 西岡 正樹(大阪府東大阪市)


この手紙を読んで下さる百年後の皆様へ。私は今不動産のお仕事をしております。不動産 という言葉は変わっているかもしれませんが、お仕事をする、あるいはお金を儲けてくる という事は、時代は変わりますが、皆様の時代にもきっとあるはずです。今、日本では学 校があり学校を卒業すると就職しお仕事をします。学校では様々な出会いがあります。良 い出会いは勿論の事、時には自分自身と価値観が合わない人もいます。しかし、それもこ れも社会に出ていく上で絶対に必要な経験です。そして、お仕事では一生懸命働かせて頂 きお金を頂きます。そのお金で家庭を養っていきます。それは、どちらの家庭でも同じで す。最後に本当に生きてゆく中で辛い事がたくさんありますが、絶対に皆様命というもの を大事にして下さい。そして、生んでくれたお母さん、毎日汗水を流して働いてきてくれ るお父さんに感謝して精一杯生きていってください。この言葉が私から皆様に贈る言葉で す。




【函館市教育委員会賞】 遠藤 直子(北海道札幌市)


 日本人の平均寿命を半分以上過ぎている私ですが、夢を持って、なりたい自分を描いて 生きています。生きていると、いろんなことがあります。すべて嬉しいことばかりだと良 いのかもしれません。しかし、嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも楽しいこともあ るからこそ、人は考える力を身につけ、乗り越える力をまとい大きく成長します。だから こそ、いくつになっても夢は持ち続けたい。
 小・中・高と学校を卒業し、医療に携わることがしたくて専門学校で学ばせてもらえた 幸せ者です。その後も医療に関することで働かせてもらい、仕事のこと・人との繋がりを たくさん学ばせてもらいました。
 人は「分岐点」と呼ばれるところに立つ時があります。それは「自分を見つめるとき」。
 その分岐点は様々で人によって違うものであり、その時の自分によって違うものです。
 今まで私は一生懸命生きてきました。自分なりの考えで、時には壁にぶち当たり、時に は壁を乗り越え、そしてある時、自分の中で目覚めたものがあり、今があります。それは“言 葉の大切さ”でした。たくさんの面やたくさんの色を持つ言葉。いつしか私は言葉を表現す る人になりたい・言葉を届ける人になりたいと夢を持つようになりました。夢は持つだけ でなく、そこから自分がどう動くか。ここから前へ進む。方法がわからなくても、手探り でもいい。自分が出来ることを、とにかくやってみる。失敗してもいい。そこから学ぶこ とがあり、そこから更なる前進があるから…。 書くことが好き、書くことがしたい。その自分に気づいた時、昨年の手紙コンクールに出 会いました。「百年後の日本人へ」…夢中で想いを言葉にしました。その想いを受け取って くれる人がいました。昨年私は、ここから大きな一歩を踏み出し、自信をもらい背中を押 してもらいました。今年も想いを言葉に手紙を出します。ありがとうございます。




【北海道新聞社賞】 鈴木 美里(東京都青梅市)


 初めまして。今日は百年前の日本人である私から、百年後の日本人である皆さんへ「学び」 の大切さについてお話をさせてください。学ぶことは好きですか。好きな人はそのまま、 好きでない方はこれから、ぜひ皆さん、志と行動力をもって、学び続けてほしいのです。 私が学びの大切さに気付いたのは、惜しいことに学生時代を終える直前でした。私の考え る学びは、貪欲に多くの知識を求め続けることです。世の中はいつの時代も必ず、自分の 知らないことで溢れています。勉強して学ぶもの、体験して学ぶもの、人と関わることで 学ぶもの、たくさんあるでしょう。私は自分の知識欲に従順に、生涯学び続けるつもりで す。そして学びの大切さを、日本の未来を担う人達に伝えることが、私の夢であり志です。 そのための行動力として、今、ここに筆をとりました。この手紙を読んだすべての日本人 が、その人生を「学び」によって、無限に充実させ続けることを願っています。




【毎日新聞社賞】 吉澤 恵子(埼玉県北足立郡)


人工知能の発展はめまぐるしく、今の日本でも技術革新がどんどん進んでいる。近い将来 AIにとって代われない仕事は無くなるといわれているほどで、それはひとえに研究者た ちの努力の賜物だと思う。しかし私が感じるのは、感動するサービス、心に残るような出 来事は全てマニュアルの外にあったということだ。人であるが故に感じるぬくもり、絆や わびさびともいうべき和の心、人の「心」までは真似できやしない。それらを失くして生 きていくのは、あまりに機械的で寂しいじゃないか。私も近頃は想像力を働かせ、少しで も周りの人を幸せな気分にできるよう、繋がりを大切に過ごしている。孫やその子供たち が生きる未来も、人としての心を皆が持ちAIと上手く共存をして、今よりもっと豊かな 暮らしができるよう願ってやまない。素晴らしい技術に感謝しつつ、生まれ変わることが できたなら、そんな日本を、も一度生きたい。




【審査員特別賞@】 坊垣 妙泉(岐阜市立市橋小学校3年)


わたしはしょうらいかしゅになりたいです。 かしゅになるために自分で作った歌を歌ったり、かしゅが作った歌を歌ったりしていま す。友だちといっしょに、学校でおぼえた歌にふりつけをつけたり、自由ちょうに歌を書 いたりしています。 だからわたしがしょうらいかしゅになったら、みんなにおうえんしてもらいたいです。 みんながえがおになる、みんながうれしくなる歌を作りたいです。




【審査員特別賞A】 岡 由唯(高知大学2年)


 西暦2019年、令和元年の私は今、将来の夢である教員を目指していて、休みの間も 教員免許取得のために学校に来て勉強をしています。そんななか教員を目指すにあたって 現代の学校教育を学んでいますが、いじめや不登校、体罰の問題は後を絶ちません。なぜ このような問題が起こってしまうのでしょうか。私はそういった経験がないので当事者の 気持ちを100%分かることはできません。それでも教員を目指す身として、そういった 問題の被害者はもちろん、加害者もすくいたいと思っています。だから今、私はそれらの 問題に潜む背景の真実を掴むために様々な対応方法を学んでいます。人は誰しも小学校の 頃から「人を大切にする」他者への尊重を学んできたはずです。人は生まれながらにして 平等な存在であり、一部の人間の判断でその人の価値は決めることはできません。どうか 他人の勝手に決めた価値であなたの価値を決めないで。これは100年後でも言えること です。





【審査員特別賞B】 浦川 真季(高知大学3年)


 皆さん初めまして。私は二一歳、看護学生六年目の者です。さて、現在の医療はすごい です。治らないと言われてきた病が、技術の進歩によって治るものに変化してきています。 これに日本人も貢献しているというのがまたすごいところです。皆さんの時代は、さらに 進歩していることでしょう。しかし、いくら医療が進歩して治せないものがあります。そ れは「心の痛み」です。病院実習で出会ったある患者様がおっしゃった言葉があります。 「身体の痛みは、薬でよくなるけど、気持ちは晴れん。」 私は何も言えませんでした。ですが、そんな患者様も家族や友人と会う時はいつもとはま るで違う、沢山の笑顔を見せられていたのです。 皆さんにお願いしたいこと。身近な人の「痛み」を、受け止めて上げてください。昔か ら継承されているその「優しさ」を大切に。




【審査員特別賞C】 渡辺 美愛(名古屋市立供米田中学校 3 年)


 私は、「障がい者」という言葉をなくしたい。そう思うようになったのは、きっかけがあ る。それは、ろう者と聴者で作り上げるサインミュージカル(手話ミュージカル)だ。これに 参加してから私は「何のために障がい、という言葉を作ったのだろう?」とよく考えるよ うになった。最初は生まれた環境も、使う言葉も違うのに、どうやって仲良くなれば良い のか、と不安でいっぱいだった。けれど、共に過ごし、劇の練習を重ねる内に少しずつ、 すこしずつ壁はなくなっていったのだ。どうしてわざわざ、溝を作るような言葉を産み出 してしまったのだろう。同じ目標に向かって頑張る者どうし、私達の間には「ちがい」な んてなかったのに。このミュージカルを通して、人間を区別することの恐ろしさ、愚かさ を一人でも多くの人に知ってもらいたい。知ること、伝えること、努力すること。ミュー ジカルの講演を終えた今、私に出来ることは少ないかもしれないけれど、これだけは最低 限やってみせる。私達のそばにはインターネットやスマホなど、情報が、思いが伝えられ る物があふれている。一歩ずつでも良い、踏み出すこと。それが、私の挑戦だ。