北海道に渡った坂本家
龍馬が目指した蝦夷地開拓への想いは、彼と共に亀山社中や海援隊で活躍し、後に龍馬の跡目を継いだ甥の坂本直(高松太郎)から、坂本直寛へと引き継がれていった。
坂本直は龍馬亡き後、蝦夷地経営に関する建白書を明治新政府に提出。慶応4年(1868)に五稜郭に置かれた箱館(現函館)裁判所(当時の北海道における地方行政機関。現在の司法機関とは異なる)において権判事(ごんのはんじ)となり、新政府軍の一員として箱館戦争にも従軍している。また、龍馬の再従兄弟(またいとこ)にあたる澤辺琢磨も箱館に渡っている。
坂本直寛は、同志と共に北光社(合資会社)を設立して北見の開拓に着手し、明治31年(1898)には一家と共に浦臼へ移住。以後、開拓と伝道にその生涯を捧げた。
菓子メーカーの包装紙の絵などで知られる山岳画家・坂本直行は坂本家8代目にあたり、龍馬が新天地として夢見た北海道の自然をこよなく愛し、生涯にわたって描き続けた。龍馬が目指した未来は北海道という新天地に向かい、その想いは後裔の人々を通じて今もこの地に生き続けているのである。