龍馬の後裔略年表
元号 | 西 暦 | 人物 | 主な出来事 |
---|---|---|---|
天保5 | 1834 | 琢磨 | ○1月5日、山本代七の長男として土佐に生まれる。 |
天保13 | 1842 | 直 | ○11月1日、高松順蔵の長男として生まれる。 |
嘉永6 | 1853 | 直寛 | ○10月5日、高松順蔵の次男として生まれる。 |
安政4 | 1857 | 琢磨 | ○江戸でトラブルを起こし、切腹させられる恐れもあったところを龍馬と武市の計らいで助けられ、 箱館に渡る 。 |
文久元 | 1861 | 直 | ○9月、武市瑞山率いる土佐勤王党に加盟する。 |
文久3 | 1863 | 直 | ○龍馬に誘われて勝海舟の門下生となり海軍術を学ぶ。以後、龍馬と行動を共にする。 |
元治元 | 1864 | 琢磨 | ○新島襄の密航に協力し、6月14日夜、無事成功する。 |
慶応4 | 1868 | 直 | ○閏4月、新政府の役人として箱館に渡る。 |
琢磨 | ○閏4月、箱館においてロシア正教司祭・ニコライによって、日本人として初めて洗礼を受ける。 | ||
明治2 | 1869 | 直 | ○新政府軍の一員として箱館戦争に従軍。 |
直寛 | ○坂本家の本家である坂本権平の養子となる。 | ||
明治4 | 1871 | 直 | ○朝廷の命により龍馬の跡目を相続。 |
明治8 | 1875 | 彌太郎 | ○熊本で出生。 |
琢磨 | ○ハリストス正教会の司祭に叙せられる。 | ||
明治9 | 1876 | 直寛 | ○5月、立志学舎・英学普通学科に入学。 |
明治17 | 1884 | 直寛 | ○高知県会議員に当選。 |
明治18 | 1885 | 直寛 | ○高知教会で洗礼を受け、キリスト教徒となる。 |
明治20 | 1887 | 直寛 | ○藩閥政治に強く抵抗し、保安条例に抵触したとして投獄される。 |
明治22 | 1889 | 直 | ○病気を理由に宮内省を退職し、高知に戻って直寛宅に同居する。 |
明治25 | 1892 | 直道 | ○3月5日、直寛の長男として生まれる。 |
明治28 | 1895 | 直寛 | ○北海道開拓を目的として、合資会社・北光社を設立。初代社長に就任する。 |
明治29 | 1896 | 直寛 | ○8月、澤本楠弥、前田駒次らと共に、北見・クンネップ原野を視察。 |
明治31 | 1898 | 直寛 | ○5月、家族と共に北海道浦臼へ移住する。 |
直 | ○11月7日、高知にて没(享年57歳)。 | ||
明治34 | 1901 | 彌太郎 | ○婿養子として、25歳で坂本家に入る。 |
明治38 | 1905 | 彌太郎 | ○釧路で坂本商会を始める。 |
明治39 | 1906 | 直行 | ○7月26日、彌太郎の次男として釧路で生まれる。 |
明治44 | 1911 | 直寛 | ○9月6日、札幌で没(享年59歳)。 |
大正2 | 1913 | 琢磨 | ○6月25日、東京にて没(享年80歳)。 |
彌太郎 | ○1月、直道に代わり、坂本家の家督を継ぐ。 | ||
大正3 | 1914 | 彌太郎 | ○札幌に移住する。 |
大正9 | 1920 | 直道 | ○東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、南満州鉄道株式会社に就職。 |
彌太郎 | ○札幌区会議員に当選。 | ||
大正13 | 1924 | 直行 | ○北海道大学農学部に入学。 |
昭和4 | 1929 | 直道 | ○フランス・パリ駐在となる。 |
昭和6 | 1931 | 彌太郎 | ○龍馬の遺品を京都国立博物館に寄贈する。 |
昭和11 | 1936 | 直行 | ○十勝原野と日高の山々に心を奪われ、広尾村字下野塚に入植。 |
昭和15 | 1940 | 直道 | ○フランスから日本へ帰国。 |
昭和16 | 1941 | 直道 | ○龍馬家を再興する。 |
昭和25 | 1950 | 彌太郎 | ○1月、広尾にある直行の自宅で没(享年76歳)。 |
昭和32 | 1957 | 直行 | ○札幌にて初めての個展を開催。以後、定期開催。 |
昭和47 | 1972 | 直道 | ○7月30日、東京にて没(享年80歳)。 |
昭和49 | 1974 | 直行 | ○北海道文化賞受賞。 |
昭和57 | 1982 | 直行 | ○5月2日、札幌にて没(享年75歳)。 |